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【高校倫理】キルケゴールの思想のポイント

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【高校倫理】キルケゴールの思想についてまとめています。

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キルケゴール

デンマークの哲学者キルケゴール(1813年から1855年没)は実存主義の先駆者である。キルケゴールは初め、ヘーゲル哲学を学んだ。しかし、世界のすべてを論理的に必然的なものとして描くヘーゲルの哲学体系に反発し、疑問を持った。

  • ヘーゲル哲学の方法で、だれにでも通用する「客観的真理」が示されたとしても、今ここに生きている「この私」に何の関係があるのか?論理的必然性という見地からあらゆるものごとを説明することは、個人の主体的な判断による選択やそれに伴う責任という視点を見失わせないだろうか?
<ヘーゲル>
ヘーゲル(1770年から1831年没)は、大学在学中にフランス革命が起きたとき、シェリングらとともに「自由の樹」を植えて祝ったといわれる。1807年イエナで最初の主著『精神現象学』を著したが、そのころイエナに侵攻してきたナポレオンを見て、「馬上の世界精神を見た」と語った。その後『法の哲学』などを著し、世界を絶対精神の弁証法的な自己展開と見る独自の哲学体系を築き、その後の哲学思想に強い影響を及ぼした。

全体性の回復

キルケゴールは、同時代の人々が画一化されて大衆社会の中に埋没し、本来の自己を見失って無気力に生きていることを批判した。人間は、自己の生き方を自らの決断で選択し、その選択に倫理的責任を持つ主体的なあり方(主体性)を取りもどさなければならないとキルケゴールは考えた。

主体的真理とは

キルケゴールにとって重要なことは、「客観的な真理」ではなく、「主体的真理」を見出すことであった。主体的真理とは、自分がそのために生き、死んでいけるような理念、「私にとって真理であるような真理」である。れは「私はいかに生きるべきか」という問題への答えとしての真理であり、自らの全存在を賭けた「あれか、これか」の主体的決断を通じて選び取られる真理である。

実存の三段階

主体的真理を求め、自覚的に生きる人間のあり方をキルケゴールは特に実存と呼んだ。それは、普遍的・一般的なものには解消できない、孤独な例外者としてのあり方である。キルケゴールは人間の実存を次の三段階で説明し、宗教的実存を究極のあり方とした。

  • 美的実存…「あれも、これも」と欲望のままに新たな刺激や快楽を求め、感覚的に 生まる実在のあり方。しかし、結局いつまでも完全に欲望が満たされることはなく、自己を見失い、倦怠感や虚無感におそわれて絶望におちいる。
  • 倫理的実存…自己を取りもどして「あれか、これか」の選択を真剣に行い、自己の良心に従い責任を持って社会生活を営もうとする。しかし、道徳的・倫理的に生 きようとすればするほど自らの有限性や罪深さに気づき、絶望におちいる。
  • 宗教的実存…人間は絶望を抱きながら神の前に一人単独者として立つ。神と人間との間の越え難い本質的な断絶や矛盾を、単独者は自らの全存在を賭けた決断により乗り越え、自己を神の手にゆだねて本来の自己を回復する。つまり、最後の支えとしての神を信じることが宗教的実存である。
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実存主義とは

近代市民社会や資本主義が発展する中で、多くの矛盾や不平等を生み、深刻な人間疎外をもたらした。ヘーゲル哲学や功利主義、社会主義思想などは、それぞれの立場から人間疎外への解決策を提示したが、それらは基本的に、客観性や普遍性を重んじる近代の理性中心主義的な立場に立っていた。これに対して19世紀半ば以降、理性中心主義自体を疑い、主体的な意志や感情に基礎を置く思想が登場した。これが実存主義である。

実存主義の特質

実存とは「現実存在」の意味で、実際に存在する現実的・具体的に存在するものを意味する。実存に対する言葉が「本質」、すなわち抽象的・一般的な基本的性質である。ヨーロッパの思想では、プラトンのイデア論以来、伝統的に実存よりも本質を優位に置いてきた。しかし実存主義では、人間について本質よりもまず実存を問題とする。抽象的・普遍的な「人間一般」ではなく、「この私」の具体的・個別的な実存をまず考え、人間疎外の克服を、自己の主体的な決断による生き方の問題として探求する。

  • イデア (idea)…「見られたもの」「ものの形や姿」などを意味する。プラトンはイデアを、理性(精神) によって観られた、理想の形や本質という意味で用いた。
    確認【高校倫理】プラトンの思想
倫理
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