【高校倫理】覚えておきたい人物一覧(よく出る編)です。
高校倫理よく出る人物一覧
ソクラテス
ソクラテスは真理を探究するため、ソフィストの弁論術のように相手を 一方的に説得するのではなく、対話の形式で質問を投げかけてそれに答えさせ、 その答えを詳しく吟味していく方法をとった。この方法は問答法と呼ばれる。
プラトン
プラトン(前427年から前347年)は、師であるソクラテスの絶対的・普遍的な真理を追究する姿勢を受け継ぎ、理性によって認識できるイデアを真の実在とする理想主義の哲学を打ち立てた。
アリストテレス
アリストテレスは、幸福こそ人生の最終目標であり、最高善とした。幸福とは、そのものが持つ固有の機能(そのものをそのものたらしめる働き)を十分に発揮することだと、アリストテレスは考えた。例えば、鳥が固有に持つ機能は「飛ぶこと」であり、鳥にとっての幸福な状態とは「自由に飛んでいる」状態。
仏陀
出家したガウタマは、6年間断食などの苦行に励んたが、心の平安は得られなかった。彼は苦行をやめ、ブッダガヤーの菩提樹の下でひたすら瞑想を続けた。35歳のときに悟りを開き、仏陀(覚者、真理を悟った人)となった。
孔子
孔子は、人間が社会の中で生きる上で最も望ましい心 根本的な徳目というべきものを、仁という言葉で表した。仁について、孔子はあるとき「人を愛す」と説明した。
孟子
魯の隣国の郭という国に生まれた孟子(前372年頃~前289年頃)は、孔子の仁や忠恕の教えを受けつぎ、発展させた。人間の本性を善であるとする性善説を唱え、人が悪を行うのは、善なる本性を見失ったためだとした。
荀子
趙の国に生まれた荀子(前298年頃から前235年頃)は、孔子の教えを継承しながらも、孟子の性善説に反対した。荀子は、「人の性(本性)は悪にして、 善なるものは偽(作為)なり」と述べ、人は生まれつき欲にひかれ利を好み、放置すれば争乱がおこるとする性悪説を唱えた。
最澄
最澄(767年から822年)は、804年に唐に渡り、天台山で天台宗の奥義を学んだ。天台宗は、6世紀 の隋代の僧智顎が開いたもので、法華経を釈迦の最高の教えとして、諸宗の教えを整理統合したものである。法華経では、仏陀は方便として多くの教えを説いたが、真の教えはただ1つのみとする一乗思想(法華一乗)を説いた。
空海
空海(774年から835年)は、最澄とともに唐へ渡り、密教を学んだ。帰国後、真言宗を開き、高野山に金剛峯寺を建立した。真言宗は、大日如来(毘盧遮那仏)を本尊としている。
法然
法然によれば、極楽浄土に往生するため必要なことは、ほかの修行法は一切捨てて、ただひたすら「南無阿弥陀仏」の念仏を称えることである(専修念仏)。法然にとって、最も簡単にできる称名念仏こそ、凡夫のため に仏が選んだ極楽往生のための唯一で究極の正しい行であった。
デカルト
デカルト(1596年から1650年没)はフランスの哲学者で、合理論の祖、近代哲学の父とされる
モンテスキュー
モンテスキュー(1689年から1755年没)は、ロックの影響を受けつつ、古代ローマ史などの研究や、ヨーロッパ各国の社会事情や制度を実地に調査した結果をもとに『法の精神』を著しました。
西田幾多郎
西田幾多郎(1870年から1945年没)は、1911年に刊行された日本最初の独創的哲学書『善の研究』の著者。
柳田国男
柳田国男(1875年から1962年没)は、農村の貧困問題を解決しようと農政学を志し、やがて官僚をやめて民俗学に専念し、精力的な活動を通じて民俗学を広め、研究者を育成して、独立した学問の1分野として定着させた。
ヤスパース
ヤスパース(1883年から1969年没)は、人間が生きる以上避けられず、しかも乗り越えられない壁のような状況が存在すると述べ、これを限界状況と名づけた。死・苦悩・争い・罪責が、限界状況の代表例である。
和辻哲郎
和辻哲郎(1889年から1960年没)は、ドイツ留学からの帰国後の1934年、『人間の学としての倫理学』を発表
サルトル
サルトル(1905年から1980年没)は、ニーチェやハイデガーらと同様、神の存在を立てない無神論的実存主義を説いた。
マルクス
エンゲルス(1820年かた1895年没)と協力して、ヘーゲルの弁証法やイギリス古典派経済学、空想的社会主義などの影響を受けながら新たな社会主義の理論体系を築き、『資本論」などを著した。マルクスの思想は、一般にマルクス主義と呼ばれる。
レーニン
資本主義の現状を分析し、マルクス主義論を成長させた、それとともに、ロシアの特殊な状況下での革命成功への道を見いだした。マルクス主義をもとにレーニンが発展させた社会主義論をマルクス・レーニン主義という。
オーウェン
イギリスの紡績工場の経営者として成功し、利害対立のない共同社会という構想を掲げてアメリカにニューハーモニー村という共同体を建設
サン=シモン
フランスの貴族として生まれ、平和な産業社会の確立を説いた
フーイエ
商業資本家の悪徳と無政府性を批判し、ファランジュという理想的な共同社会を構想
山鹿素行
1622年から1685年没。朱子学の日常生活からかけ離れた観念性や内面の修養にかたよった立場を批判した。そして著書『聖教要録』において、漢代以降の儒学者の説を排し、直接、周公や孔子など古代中国の聖人の教えを学ぶという立場を明らかにして、古学を提唱した。
北村季吟
『源氏物語』などを研究して、『源氏物語湖月抄』を著した。江戸幕府は儒者の林羅山に命じ、日本の通史である本朝通鑑の編纂という大規模な修史事業を行った。
徳川光圀
家督を継いで藩政確立に努める一方、彰考館で歴史書である『大日本史』の編纂をはじめ、朱舜らを招いて学事にあたらせた。
行基
668年~749年没。自身は正式な僧であったが、多くの民衆が私度僧として従 い、各地で布教や土木工事・貧民救済などの社会事業を行った。当初、私度僧たちの活動は弾圧されたが、のちに認められ、東大寺大仏の造立に参加した。
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