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【高校倫理】社会契約説の主要人物と内容のポイント

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【高校倫理】社会契約説についてまとめています。

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ロック

ロックは、イギリスの哲学者である。政治思想家としては『統治論(統治二論・市民政府二論)』などを著し、ホッブズの影響を受けつつも、ホッブズとは異なる国家論を展開した。

人間の本性と自然権

ホッブズが人間を利己的な動物と見たのに対し、ロックは人間を本来理性的な存在であると見た。ロックの考える自然権は、個人の生命・自由・財産の所有などの権利である。それはホッブズの考えるような無制限な権利ではなく、他人の権利を侵害しない限りで認められるものである。自然権は「他人の権利を侵してはならない」という理性の声(=自然法)に従うものとされた。

自然状態

ロックの考える自然状態は、基本的に自由・平等で平 和であり、自然法のもと自然権が比較的よく守られている。しかし自然状態においても、人間は理性の声に常に従うとは限らず、他人の権利を侵害する者が出てきたり、財産をめぐる紛争が生じたりする場合もある。 そうした場合に備えて、自然権を守るため自然法にもとづく法律(実定法)を定め、それを執行し紛争を調停する権限を持つ公的な機関が必要となる。

社会契約

ロックは、社会契約を次のように考えた。

自然権を守るため、人々は社会契約を結んで国家をつくり、国家の代表者である政府に自然権の一部を委譲し、法律を制定・執行して自然権を保護する権限を政府 にゆだねた(信託)。この信託とは、人々(国家に対する人民)が政府を信頼して自然権の一部の執行を 任せただけであり、主権はあくまで人民にある(人民主権)。このため、政府が契約 に反して権力を濫用し、人民の自然権を侵す場合は、人民はそれに抵抗することが でき(抵抗権)、政府を交代させることもできる(革命権)。

権力の分立

ロックは権力の濫用を未然に防ぐため、国家の権力を立法権・執行権(行政権)・連合権(外交権)の3つに分割し、3つの権力を別々の人が持つ ようにする権力の分立を主張した。

  • 権力分立の目的…国家権力を分散し、分散した権力を相互に抑制し合い、均衡を保つことによって、国家権力の濫用を防ぎ国民の権利と自由を守ることになります。

ロックの理論の影響

王権神授説を否定し、人民主権(主権在民)を説き、革命権を肯定したロックの理論は、名誉革命を正当化し、その後のイギリス式の議 会制民主主義(間接民主主義)の発展を理論的に基礎づけた。また、アメリカ独立宣言やフランスの人権宣言にも大きな影響を与えた。

名誉革命

新しく即位した国王は、再び専制政治を始めたため、議 会と国王の対立が続きました。そこで議会は、1688年に国王を追放し、オランダから新国王をむかます。この革命は流血なしで行われたため、名誉革命とよばれました。この国王は議会の立場を重んじ、国民の自由と権利を守るために、議会がつくった「権利の宣言」を認め、1689年に「権利の章典」として発布。

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ホッブズ

ホッブズ(1588 ~ 1679)は、イギリスの哲学者・政治 思想家である。『リヴァイアサン』を著し、社会契約説 による国家の成り立ちを説いた。

人間の本性と自然権

ホッブズは人間を利己的な動物と考え、生まれながらに、自己の欲望を満たし生命の維持・発展をはかろうとする自己保存の欲求を持つとした。ホッブズの考える自然権とは、人間が自己保存の欲求を満たすため自由に行動することであり、自己保存のためであれば何をしてもよい、という無制限な自由であった。

自然状態

ホッブズによれば、国家も法律もない自然状態では、各人が自己保存の権利を無制限に追求し、自由に利己的にふるまう。そのため、「人は人に対して狼」となり、各人が自己の欲望を満たすため互いに絶え間なく争う混乱状態となる。ホッブズはこれを「万人の万人に対する間
争」と呼んだ。この状態では、誰もが自己の生命の維持すら危うくなる。

社会契約

ホッブズは、社会契約を次のように考えた。

「万人の万人に対する闘争状態」にある人々は、平和を求める理性の声(=自然法) に導かれ、1人の人間(または1つの合議体)に自己の自然権を譲り渡し、代わりに平和や安全を守ってもらうという契約を相互に結んだ。こうして、自然権を譲渡された人間(または合議体)が主権者として支配する国家が成立した。この国家では、自然権をすべて譲渡された主権者が絶対的な権力をふるい、何の 権利も持たない国民は主権者の命令に服従するしかない。しかし服従することにより、自己の生命や安全が保障される。

ホッブズの理論と絶対王政

ホッブズの社会契約説の背景には、ピューリタン革命とその後のイギリス社会の混乱があった。そのためホッブズの理論は主権の絶対性の確立を求めるものとなり、結果的には、王政復古後の絶対王政を支える理論となった。しかし、その理論は、政治権力の根拠を神ではなく人々の契約に求め、国の成立過程を人間の本性や自然権の保障という観点から理論的に説明した、近代の合理的な政治思想の原点となるものであった。

  • ピューリタン革命…1640年から60年、王政が否定され、クロムウェルによる共和政治が行われる。
  • 名誉革命…1688年、議会を無視する国王を追放し、新たなを王を迎える。翌年、権利章典を制定。名誉革命によってイギリスの議会政治の基礎ができた。
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ルソーの社会契約説

市民革命後のイギリスが産業革命を迎えつつあった18世紀、フランスは絶対王政の下にあった。ルソー(1712~ 78)はフランスの啓蒙思想家で、ロックらの社会契約説に学んだ。絶対王政を批判し新しい社会を打ち立てるための理論として、『社会契約論』などにおいて独自の社会契約説を展開した。

  • 絶対王政…国が絶対的な権力を握って行う政治。フランス革命は、1789年7月、絶対王政への不満から各地で反乱がおこる。

自然状態

ルソーは、自然状態を文明成立以前の原始的な状態として考えた。ルソーは著書『人間不平等起源論』において、自然状態を理想的な社会として、次のように述べた。

自然状態の人間は自己保存を求める自己愛とともに、他者に対する 思いやり(あわれみ)の感情にも従う善良な存在である。人々はたがい に自由・平等で、貧富の差がなく、自然人として平和に暮らしている。

文明社会

自由・平等な自然状態は、文明が起こり、私有財産の観念が生まれると失われた。人々は他者へのあわれみを失って利己心に満ちた存在と なり、悪徳がはびこるようになった。この状態に一応の秩序をもたらすため国家や法律がつくられたが、それは富者が不平等な状態を正当化し財産を守るた めにつくられたもので、不正と虚偽の支配する政治体制であった。このように、ルソーにとって文明社会は、不平等と悪徳に満ちたものであり、絶対王政はこの文明社会の極度に発達したものであると彼は考えた。そこでルソーは、「自然に帰れ」と唱えた。

一般意志と社会契約

文明以前の自然状態にそのまま戻ろうとしても それは無理である。そこでルソーは、新たな社会契約を結んで理想的な国家をつくることにより、人々は不平等や悪徳から解放されるとする。 この国家について、ルソーは一般意志という概念を用いて説明している。

  • 一般意志…公共の利益のみをめざし、人々が一体となった普遍的な意志。
  • 全体意志…特殊意志(個人の私的な利益を追求する意志)の総和。私的利益の追求を本質とするため、一般意志とは区別される。

ルソーの考える社会契約説によると、人々は(全体意志ではなく)一般意志に もとついて国家をつくり、その国家に自らの自由と権利をすべてゆだね、一般意志に服従するという社会契約を結ぶ。こうして成立した国家は、一般意志に支配され、その実現をめざす。一般意志は人民の意志そのものだから、主権は人民にある(人民主権)。一般意志に従うことは自分自身に従うことを意味し、人民が自ら制定した法に自ら従うということである。一般意志に従う限り、その法は常に公共の利益をめざすものだから、人民は その権利を保障され、市民的自由を獲得する。

直接民主制

ルソーの説く一般意志は、他人に譲ったり分割したり、また他人によって代 まされたりすることはできない。この考えに基づいて、間接民主主義や権力分立を批判した。ルソーは、すべての人民が直接政治に参加し、意志決定を行う直接民主主義を理想の政治形態とした。

  • 民主主義…みんなで話し合い、決定するやり方。国民主権と基本的人権が不可欠で個人の尊重を基本とする。
  • 直接民主制…国民や住民が直接話し合いに参加する。
  • 間接民主制…選挙で選ばれた代表者が集まって議会を作り、物事を話し合って決める。多くの国で採用され、「議会制民主主義(代議制)」とも言う。
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自然法思想と社会契約説

自然法思想

自然法とは、人為的に定められ一定の時代 や社会にしか通用しない実定法に対して、人間の本性に根ざした、どんな時代や場所にも通用する普遍的な法という意味である。このよう自然法があるという思想は、宇宙を支配する理法(ロゴス)があるというストア派の思想に由来し、神の摂理を自然法とする中世のスコラ哲学に受け継がれてきた。そしてルネサンスや宗教改革をへて、宗教的権威から解放された自然法思想が説かれるようになった。

  • ストア派…キプロス島出身のゼノン(前335頃~前263頃)を祖とし、のちローマに継承された。ローマ帝政期にはセネカ、エピクテトス、皇帝マルクス=アウレリウスらのすぐれた哲学者があらわれた。

グロティウス

近代自然法の父・国際法の父とされるオランダの法学者グロティウス(1583 ~ 1645)は、神の意志とは別に、人間の本性から導き出される普遍的な原理として自然法をとらえ、自然法を法体系の最上位に置いた。そして三十年戦争の悲惨な状況を見て『戦争と平和の法』を著し、自然法思想を国際関係にも適用し、国際法による国家間の法秩序の必要性を訴えた。

  • 1618年…三十年戦争
  • 1648年…ウェストファリア条約(三十年戦争終結)

自然権

自然法から、自然権の思想も生まれてきた。自然権は、人間の本性に根ざし、すべての人間が生まれながらに持っているとされる権利である。 一般に「自己保存」「自由」「平等」「財産の所有」などの権利が、自然権として認められてきた。

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社会契約説

自然法思想を基礎として、王権神授説を否定し、神ではなく人間の木性から主権や国家の成り立ちを説明するのが社会契約説である。

自然状態

社会契約説では、国家や政府が形成される以前の人間の本性を考察することから、国家や社会の成立過程を説く。国家も政府もない状態で多くの人間が集まって生活する姿を想定して自然状態と呼ぶ。自然状態では、人間の自然権が守られないなどの問題が発生する。人々は、この問題を解決するため、自由意志にもとづいて契約を結び、国家や政府を樹立する。これが社会契約説 基本的な考え方である。

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