【高校倫理】中江藤樹(陽明学)の教えのポイント

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【高校倫理】陽明学の教えについてまとめています。近江(滋賀県)に生まれた中江藤樹(1608年~1648年没)は、老母への孝養のため27歳で脱藩して故郷に帰り、武士の身分を捨てた。若いころから独学で朱子学を学び、故郷では私塾を開いて庶民教育にあたり、その徳行で近江聖人と呼ばれた。しかし「敬」を重んじる朱子学については、外面的な儀を守るだけの形式主義に陥っていることに疑問をいだき、やがて林羅山らの説とは異なる独自の儒学を説くに至った。

中江藤樹

中江藤樹は、著書『翁問答』において、道徳の根源は「孝」であると説いた。それは、親への孝行にとどまるものではなく、君臣・夫婦・朋友などあらゆる人間関係を成り立たせる根本原理となる。「孝」の本質は、「愛敬」の二字に帰着する。それは、真心をもって人に親しみ、目上を敬い目下を軽んじない心である。

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時・処・位の3条件

中江藤樹は、「孝」の具体的な実践においては、外面的・形式的な規範にとらわれることなく、時(時期)・処(場所)・位(身分)の3条件を考慮し、状況に応じ柔軟に心を働かせて判断していくことが大切であると述べた。身分差を超えて、中江藤樹は著書『大学解』において、人間に「天子・諸侯・卿大夫・土・庶民」といった身分差を認める一方で、人間としての共通性を認め、道徳を実現すべきであることにおいては平等で、身分の差はないとした。身分に関係なく万人に共通する道徳の根源こそ「孝」であるとした。

日本陽明学の祖

中江藤樹は晩年において陽明学の研究に努め、その「知行合一」などの考え方を取り入れたので、日本陽明学の祖と呼ばれる、そして、生まれながら人間に備わっている良知(善悪是非を見分ける能力を最大限に発揮する教良知という立場から、改めて「孝」などの徳の実践を説いた。

熊沢蕃山

中江藤樹の弟子の熊沢蕃山(1619年から1691年没)は、備前藩主池田光政に仕え、治績を上げた。そして、人情時変に応じて時・処・位を考えた最善の道を 行うところに治国平天下の道があるとした、その治山治水の政策において山林保護の必要を訴え、環境保護の先駆者ともされる。後年、著書で幕政を批判したことを幕府にとがめられ、晩年は調閉生活を送った。

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