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【高校倫理】サルトルの思想のポイント

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【高校倫理】サルトルの思想についてまとめています。

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サルトルの思想とは

フランスの哲学者サルトル(1905年から1980年没)は、ニーチェやハイデガーらと同様、神の存在を立てない無神論的実存主義を説いた。サルトルは、事物をその本質に固定された存在(=即自存在)ととらえた。

  • ニーチェ…神を求めず、反キリスト者として生きるところに人間本来のあり方を見出した。
  • 無神論的実存主義…神への信仰を否定し、あくまで人間の立場から主体的な実存のあり方を考える。ニーチェに始まり、ハイデガーやサルトルらに受け継がれた。

対自存在

たとえば定規の存在は、次のように説明できる。定規はものの長さを測るという機能・用途を持つ道具として、設計図に従ってつくられた。ここでは、定規の本質(定規というものを定義できる重要な性質)は、定規の実存(現実にそこにある定規)に先立って存在している。しかし、人間は定規のような道具ではなく、自由な存在として自分のあり方を主体的に決めることができる。人間は事物とは異なり、自己に対して自覚的であり、常に自己を乗り越え、可能性を見越して行動を企て「未来へ向かって自らを投げる」存在である。サルトルは、これを投企的存在(=対自存在)と呼んだ。

実存は本質に先立つ

人間の場合はまず実存があり、その後、自らの自田で主体的な行為により自己が何であるか(=自己の本質)を定義していく。これをサルトルは、人間において「実存は本質に先立つ」と表現した。「自らつくったところのものになる」のである。

自由の刑

  • 人間存在の本質が自由であるとすれは、生き方を一人で選択しなければならない。
  • 自己の行為のよりところの根拠となる価値や規則などを、神に求めることもできない。
  • その選択は自らの自由な意志によるため、その行為の結果に全面的に責任を負わなければならない。
  • 自由であることは非常である。

サルトルはこのことを「人間は自由の刑に処せられている」と表現した。

アンガージュマン(社会参加)

人間が自由に行う自己の行為の選択は、他者との関係において行われる。行為は他者や社会全体に影響を及ぼすことになり、自分だけでなく社会全体に対しても責任を負うことになる。ある自己のあり方を選択することは、1つの状況の中に自己を拘束(アンガジェ)することである。サルトルによれば、それは同時に人類全体に1つの人間像を示すことで、その社会を自らの行為によって新しくつくりかえていくことになり、全人類のあり方をも拘束することにつながる。このことからサルトルは、広く社会と関わり、人類の運命に参加していくことの大切さを訴えた。これをアンガージュマン(社会参加)という。

サルトルと関わった哲学者・文学者

  • ボーヴォワール(1908年から1986年没)…サルトルと契約結婚をし、伝統的な結婚を選ばなかった。実存主義の立場から女性解放を唱え、主著『第二の性」で「人は女に生まれない。女になるのだ」と説き、従来「女の本性」などとされてきたものは、男性優位の社会の中で人為的に形成されたものだと主張した。
  • カミュ(1913年から1960年没)…人生の不条理やそれに反抗する人間をえがく実存主義的小説を発表。『異邦人』『ペスト』など。『シーシュポスの神話』では、ギリシア神話の登場 人物を通して無意味な人生を生き抜く「不条理の英雄」の姿をえがいた。
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