【高校倫理】荘子の思想についてまとめています。「人生の悩みから解放され、もっと自由に生きられたら……」そんなふうに思ったことはありませんか?古代中国の思想家・荘子(紀元前369年頃〜286年頃)は、世俗の価値観にとらわれず、自然と調和して生きることこそが本当の自由だと説きました。
彼の思想の中心には、「無為自然(むいしぜん)」や「逍遥遊(しょうようゆう)」といった考え方があります。これは、社会のルールや名声に縛られず、自分らしく生きることの大切さを示したものです。また、「胡蝶の夢」などの寓話を通して、私たちが信じている「現実」が本当に確かなものなのかを問いかけました。本記事では、荘子の思想のポイントを分かりやすく解説し、現代を生きる私たちにとってのヒントを探っていきます。
荘子の思想
荘子(前4世紀頃)は、老子の「道」の思想をさらに深め万物斉同 の考え方を説いた。人間はふつう、是非・善悪 真偽・美醜・生死などの差別や対立にこだわり、自己の利害や名声などに執着して争いや苦しみを生み出している。しかし、そのような差別や対立は、限りある人知の分別による相対的なものに過ぎない。「道」と一体となったありのままの実在の世界は、万物が平等で済しい価値を持つ(万物斉同)、絶対無差別の世界である。
遺遙遊・真人
荘子は、あらゆるとらわれから自由となり、ありのままの自然と一体となって悠々と遊ぶ逍遙遊の境地を理想とし、この境地に達した人を真人とよんだ。
心斎坐忘
心斎坐忘は、真人に至るための修養法である。心のこだわりを捨てて虚しくし(心斎)、すべてを忘れ去って万物と一体となる(坐忘)ことを意味する。
胡蝶の夢
荘子はあるとき夢で蝶となり、ひらひらと飛んで楽しんでいたが、ふと目が覚めると自分は人間であった。荘子は、人間である自分が夢で蝶になったのか、 蝶が夢で人間になったのか、分からなくなってしまったという。この寓話は、人間と蝶、夢と現実などという常識的な分別から自由となって遊ぶ逍遙遊の境地と、差別対立を超えた万物斉同の世界を象徴している。
道教
「道」を宇宙の根源と考える老子と荘子の思想は、合わせて老荘思想と呼ばれ、道家の主流をなす。のちに老荘思想は民間信仰と融合して民衆の間に浸透し、不老長寿などを願う民族宗教の教が成立した(その教えは道家とは別物である)。
以上が、【高校倫理】荘子の思想となります。
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