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【高校地理総合】南アジアのポイント

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【高校地理総合】南アジアのポイントをまとめています。

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南アジア

南アジアの5大農作物

  • …ガンジス・ブラマプトラ川中下流・海岸平野
  • 小麦…パキスタンのパンジャブ地方(灌漑)、ガンジス川中上流域
  • 綿花…デカン高原、パンジャブ地方
  • …インドのアッサム地方, スリランカ
  • ジュート…ガンジス川デルタ(インド・バングラデシュ)

インド

ヒンズー教徒が多い。農業国だが、生産性は低)、コンピュータ産業が発展。カーストによる差別や貧困が課題。 鉱工業においては、鉱産資源が豊富。BRICsの一員であり、最先端産業や情報技術(IT)産業が急速に発展。

インドの工業化
植民地の遺産とも言うべき3大港湾都市を中心としたインドの工業中心地の比重は下がってきた。とくにデリーは、ヒンドゥー・イスラムの諸王国の首都であったが、19世紀にイギリス軍が占領し、1911年にイギリス領インドの首都がコルカタからデリーに移転してから、政治の中心として発達し、独立後は政府主導の工業化にあわせて周辺にあらたな工業地域が生まれた。

  • デリー…インドの首都で、インドは、ヒンドゥー教の信者が多く、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されてきた多神教。カースト制は、ヒンドゥー教の関係が深い厳しい身分制度。
ヒンドゥー教
バラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されてきた多神教。カースト制は、ヒンドゥー教の関係が深い厳しい身分制度。

インドのインフラ
国内産業の発展によって、アーメダバードを含めた4大港湾から個別に内陸に入る植民地支配のシステムであった鉄道網が、デリーを含む内陸全体を結び合うシステムに代わり、その発達を上回って道路網が広がり、航空輸送も拡大した。交通網の整備は、各地方をIT産業

1980年代より、社会主義のような政治規制の強い工業化の限界を打破するために、経済の自由化が進められた。とくに、1990年代になると、外国資本によるインド国内での企業設立が自由化され、公営企業も市場原理にしたがい、海外からの技術や機械類の購入も自由になった。やがて、イギリス・アメリカ合衆国を中心とした外国資本が直接投資を進めた。植民地時代に、海外に移住したインド人の資本の回帰も大きかった。

旧社会主義国の市場を失ったが、それ以上にアメリカ合衆国への輸出が増大した。また、インドの科学技術教育は英語であったから、高度な技術者が大量にIT産業に流入した。IT産業は、通信設備が整備されれば、伝統的な港湾都市に立地する必要はなかった。もちろん、他の産業が集積している3大港湾都市やデリーに立地したIT産業も多いが、高温・多湿を避けて、内陸の乾燥した比較的気温の温和な「インドのシリコンバレー」と呼ばれるバンガロールや一部はハイデラバードに立地した。

IT産業は、国際的な立地上の利点として、時差の利用を可能とした。たとえば、アメリカ合衆国のロサンゼルスとの時差は11時間半であるから双方の土地に事業所をおけば、事実上、24時間操業が可能で、ソフトウェア開発の所要時間が半減し、技術者の渡航・滞在費も不要となり、しかも労賃が低いので、その人件費の節約はアメリカ合衆国企業のコスト削減に大きく貢献する。

インドの発展
インドの所得水準と道路や住宅事情にあわせたオートバイや自動車産業も、デリーやチェンナイに起こった。この急速な工業化はインドをBRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国・ 南アフリカ)と呼ばれる世界経済の有力な国としている。とりわけインドが重要視されているのは、その巨大な人口で、間もなく中国を抜くと推計されている。インドの生活水準は、平均すればなお決して高くはなく、また階層格差も大きいが、富裕層が1割いれば日本の総人口と同じになる。大都市にあった旧イギリス軍用地は、工場や高級住宅地に開発されている。

  • 人口急増地域(インドなど)…家族計画の普及, 国民所得向上による出生率の低下, 初等教育の普及(識字率の向上)などが対策。
  • 人口停滞地域(EU諸国)…高齢化社会。

バングラデシュ

バングラデシュは、ガンジス川下流の三角州(デルタ)で稲作、ジュートがさかんだが、季節風やサイクロン(台風)の影響を受けやすいため水害が多く、食料難に苦しむことが多い。

スリランカ

スリランカは、仏教徒が多く、茶の栽培、北海道よりやや小さい面積のインド洋に浮かぶ島国である。熱帯モンスーンの影響が強く、高温多用なため、米や天然ゴムが主産物になっている。

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