【大学入試小論文】関西大学文学部総合人文学科(2022年度AO入試)の小論文解答例です。改題となります。
【問題】朝日新聞EduAウェブサイト(2021年3月1日)から、日本の部活動の特徴について述べた文章と、Yahoo!JAPANニュース(個人記事、2018年12月26日)から、日本の運動部活動の問題点について述べた文章を読み、「大学での理想的な課外活動のあり方」について述べよ。
【改題】中高生の「部活動」の是非について、あなたの考えを1000字以内で述べなさい。
ある人の部活動の是非に関する解答例
私は学校に部活動の制度はなくなるべきだと思う。理由は二つある。
一つ目の理由は、部活動は教師への負担が重すぎるからである。教師は部活動の顧問を平日休日問わずしたとしても、それに見合う手当てはもらえない。また、担当する部活動の経験があるかどうか関係ないことは、教師にも生徒にも負担がある。
例えば、私は中学校の頃ソフトテニス部だったが、顧問の先生は全くの初心者だった。そのため、技術的な指導はなく、部員からは不満の声もあった。一方で、顧問は一からルールを勉強し、専用のシューズやラケットは自費で買っていた。半ばボランティアにも関わらず責任も重くのしかかるようなことを、進んでやってくれる先生もいるが、負担になる先生もいる。
また、教師の負担が重すぎるため、教師が顧問をすることは他にも影響かでる、教師には授業の準備や成績処理などやる事が多く、部活内の雰囲気やいじめの有無にまで、目が回らない。また、顧問がいないときに、命に関わる大きな事故が起きているのも事実である。よって、教師は顧問以外にも、通常業務があるため、そこまで手が回らないのは当然で、部活動の顧問を半ば強制的にさせるのは、やめるべきだ。
二つ目の理由は、学校では生徒が必ずしも、本当にやりたいスポーツや文化活動をできるわけではないからだ。私自身、高校で友達とチアダンス部を新しく作りたいという話になり、先生にその話を持ちかけた事がある。自分達でチアダンスの先生を見つける必要があったり、部員を集める事ができず、断念した。このように、生徒の望む部活動があるとは限らなく、また、新しく作ることはそう簡単ではない。
さらに、やりたい部活動がない生徒もいるにも関わらず、生徒を半ば強制的に部活動に参加されることは、部員間での温度さや対立がうまれ、ほんとにやりたくて入った人も、どちらの人も、本当に心から部活動を楽しめないと考える。
確かに、部活動は協調心を高め、最高の思い出や楽しさを生徒に提供してくれるかもしれない。だが、この役割は、学校外部のクラブチームも果たせると考える。つまり、本当にやりたいわけではないのに入る部活動や、生徒の温度がある部活動よりも、指導者がプロで積極性のある仲間がいる所で活動した方がより一層楽しめるわけだ。
以上のことより、学校の部活の制度はなくし、その代わり外部クラブチームを充実させていくべきだと考える。
部活動の是非に関する論文のアドバイス・添削
1. 構成を整理して明確化する
各段落で論点を絞り込み、主張と根拠を明確にしましょう。また、主張に繋がる部分で冗長な表現を避けると、伝わりやすくなります。たとえば、「教師の負担が重い」という主張に関連する部分で、エピソードが少し長めになっています。要点を短くまとめると、論旨が明確になります。
修正前「教師の負担が重すぎるため、教師が顧問をすることは他にも影響かでる、教師には授業の準備や成績処理などやる事が多く、部活内の雰囲気やいじめの有無にまで、目が回らない。」
修正例「教師の負担が大きすぎるため、部活動以外の業務に支障が出ることが多い。授業準備や成績処理など本来の業務に加え、部活動内でのいじめや雰囲気の悪化にも十分な対応ができない状況が生まれている。」
2. 表現を簡潔に
一部の文章がやや長いため、簡潔な言葉に置き換えることで読みやすさが向上します。
修正例:
「教師は部活動の顧問を平日休日問わずしたとしても、それに見合う手当てはもらえない。」
→「教師が顧問を務めても、労力に見合う手当は支給されない。」
修正例:
「自分達でチアダンスの先生を見つける必要があったり、部員を集める事ができず、断念した。」
→「チアダンスの先生探しや部員集めが難しく、断念した。」
3. 語彙の統一
同じ意味を持つ言葉を繰り返さないようにし、語彙を統一しましょう。「半ばボランティア」「半ば強制的」など、「半ば」を複数回使用しています。適切に置き換えるか、表現を工夫すると、文にリズムが生まれます。
修正前「例えば、私は中学校の頃ソフトテニス部だったが、顧問の先生は全くの初心者だった。そのため、技術的な指導はなく、部員からは不満の声もあった。一方で、顧問は一からルールを勉強し、専用のシューズやラケットは自費で買っていた。半ばボランティアにも関わらず責任も重くのしかかるようなことを、進んでやってくれる先生もいるが、負担になる先生もいる。」
修正例「例えば、私は中学校でソフトテニス部に所属していたが、顧問の先生は初心者だった。そのため、技術指導は一切なく、部員から不満が上がっていた。一方で、顧問はルールを一から学び、シューズやラケットを自費で購入していた。このように、ボランティアに近い形で顧問を務める中で、負担を感じる教師が多いのは明らかである。」
4. 反論の検討を強化
反論として部活動の良さを挙げていますが、「学校外のクラブチームで代替可能」という主張の裏付けをもう少し強化すると説得力が増します。たとえば、外部クラブチームの実例や、既に外部クラブが主流となっている国の事例を加えると良いです。
修正前「確かに、部活動は協調心を高め、最高の思い出や楽しさを生徒に提供してくれるかもしれない。だが、この役割は、学校外部のクラブチームも果たせると考える。」
修正例「確かに、部活動は協調性を育み、思い出に残る活動となることが多い。しかし、この役割を果たすのは学校の部活動に限らない。たとえば、地域のクラブチームでは専門的な指導を受けられるうえ、自分の興味に合った活動を選択しやすい環境が整っている。また、クラブチームが主流となっている欧米では、生徒が主体的に活動に取り組む姿が見られ、より効率的かつ充実した経験が得られている。」
部活動の是非に関する論文の全体修正案
私は、学校における部活動の制度は廃止されるべきだと考える。その理由は、教師の負担が大きいことと、生徒が自由に活動を選べないことの二点である。
第一に、部活動は教師に過度な負担を強いる。教師は平日・休日を問わず部活動の顧問を務めても、労力に見合う手当は支給されない。また、担当する部活動の経験がない場合、教師も生徒も負担を抱えることになる。たとえば、私が中学校で所属していたソフトテニス部では、顧問の先生が初心者で技術的な指導ができず、部員から不満の声が上がった。一方で、顧問はルールの勉強や道具の購入を自費で行い、精神的にも経済的にも負担を強いられていた。このような状況は、教師にも生徒にも不利益をもたらす。
さらに、教師には本来の業務である授業準備や成績処理などの多くの仕事があり、部活動の指導に十分な時間を割くのは難しい。その結果、部活動内でのいじめや事故が見逃されるケースもある。実際、顧問不在時に命に関わる事故が起きた例も報告されている。このように、教師に顧問を半ば強制する現在の制度は見直されるべきである。
第二に、生徒は学校内の部活動では必ずしもやりたい活動を選べない。たとえば、私が高校時代にチアダンス部を新設しようと試みた際、指導者を探し部員を集める必要があり、実現には至らなかった。このように、生徒が希望する部活動がない場合、新設のハードルが高いため、選択肢が限られる。一方で、やりたくない部活動に半ば強制的に参加させられる生徒もいる。このような状況では、部員間で温度差や対立が生まれ、本当にやりたい生徒もそうでない生徒も、部活動を心から楽しめない。
確かに、部活動は協調性を育み、生徒にとって貴重な思い出となる場合もある。しかし、この役割は学校外部のクラブチームでも果たせる。本当に興味を持つ分野で、専門的な指導を受け、意欲的な仲間と活動するほうが、生徒にとって充実感のある経験となるだろう。
以上の理由から、学校の部活動制度は廃止し、外部のクラブチームを充実させるべきだと考える。
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