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【高校倫理】キリスト教の教えのポイント

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【高校倫理】キリスト教の教えについてまとめています。

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神の愛

イエスは、厳格な「裁きの神」ではなく「愛の神」を説いた。
神の愛(アガペー)は、自分に背いた者、迷える者であっても、たった1人の小さな存在も軽んじることなく、

  • 無差別・無条件・平等に愛する無償の愛
  • 自己を犠牲にしても他者を思いやる自己犠牲的な愛

その愛は罪を犯した人々にも注がれるものである。

神の愛(アガペー)のたとえ

  • 放蕩息子のたとえ…父の財産の分け前をもらい、家出して放蕩の限りを尽くした息子が、すべてを失い疲れ果て、父の雇い人にしてもらおうと帰郷 した。父は息子を抱きしめてゆるし、祝宴を開いて帰還を喜んだ。
  • 見失った羊のたとえ…100匹の羊を飼っている人が、うち1匹を見失ったとすれば、99匹を置いたままにしても必死になって捜し回るだろう。
  • 一粒の麦のたとえ…1粒の麦は、地に落ちて死ななければその1粒のままである。しかし、地に落ちて死ねば多くの実を結ぶ。
  • 太陽と雨のたとえ…天の父は悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせる。
  • 医者のたとえ…イエスが罪人や徴税人と食事を共にしていると、パリサイ派の律法学者がこれを見てとがめた。するとイエスは、「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私は、正しい人を招くためでは なく罪人を招くために来たのだ。」と答えた。

人間の愛

神の愛に対し、人間の愛(エロース)は、自分にとって価値の高いものを求める自己本位の愛であり、自己愛(エゴイズム)にすぎないという。「自分を愛してくれる人を愛したところであなたがたにどんな報いがあろうか」とイエスは語っている。

  • エロース…魂はかつていたイテア界にあこがれ、完全なもの、善美なるものを思慕して、それらの認識に達しようとする。こうしたイデアへの欲求をエロース(愛慕)とよび、フィロソフィア(愛知)の源泉となる。
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隣人愛

2つの戒め

イエスは、最も重要な戒めとして次の2つをあげた。

  1. 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの主である神を愛しなさい(=神への愛)。
  2. 隣人を自分のように愛しなさい(=隣人愛)。

イエスは、人間に対する神の愛に対し、人間は神への愛と隣人愛をもって応えることを説いた。隣人愛とは、神の愛が無差別・無条件・平等に与えられように、万人を分けへだてなく無条件に愛することである。この隣人愛の精神は、「人にしてもらいたいと思うことは、人に対してもその通りにしなさい という黄金律とよばれる教えにもよく表されている。

愛敵の教え

イエスはさらに進んで、「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」とも説いた(愛敵の教え)。

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ハウの伝道

ハウロ(前10年頃~後660年)は、もとはユダヤ教のパリサイ派の信奉者で、キリスト教徒を弾圧する側であった。しかし、ダマスカスへの途上で復活したイエスの声を聞くという体験(啓示)により、キリスト教に回心した。その後、地中海世界で熱心な伝道活動を行ってユダヤ人以外にも活動を行ってユダヤ人以外にもキリスト教を広め、キリスト教の聖外示親として発展する基礎を築いた。そのため「異邦人の使徒」とよばれる。

パウロの教えの原点

パウロはかつて律法の遵守に励んだが、「欲しない裏を行ってしまう」という自己の矛盾と無力さに深く、 悩んた。しかし、「イエスの十字上の死は、原罪を背負った人間の罪のためである」という確信がパウロを救った。

信仰義認論・三元徳

パウロは、「神の前で人が義とされるのは、律法の行いにはよらず、信仰による」という信仰義認論を説いた。そして、「信仰・ 希望・愛」の三元徳を唱え、その中でも愛を最も重要なものとした。

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教父哲学とアウグスティヌス

ローマ帝国においてキリスト教ははじめ迫害されたが、313年のミラノ勅令で公認され、392年にはローマの国教となった。このころを含めた2~3 世紀にかけて、教父とよばれる教会指導者たちが、ギリシア哲学(特にプラトン) な利用してキリスト教の教義を望えた。そして、教父哲学と呼ばれる学問を展開し、神学(教義に関する学問)を確立させていった。

カトリックの成立

教会は、ローマ教会を頂点とする組織として整えられ正統な教会としてローマ=カトリック教会が成立した。

アウグスティヌスの登場

アウグスティヌス(354年~430年)は、告白や神の国を著し、最大の教父とよばれる。アウク島大の教父とよばれるアウグステイメ人は、人間はその背負う原罪 の深刻さゆえに、自らの自由意志で善をなすことはできず、ただ更新(罪深い人間に無償で与えられる神の思み)によってのみ救われると説いた。そして、パウロの説いたキリスト教の「信仰・ 希望・愛」の三元徳を四元徳(知恵・勇気・節制・正義)の上位に置いた。

三位一体説

神の本性はただ1つだが、「父なる神、子なるキリスト、聖霊という3つの存在様式(ペルソナ=位格)を持っている」とする説。アタナシウス派が唱えて正統な教義となり、アウグスティヌスが確立した。

神の国

アウグスティヌスは神の国において、世界の歴史を、神への愛や隣 人愛に満ちた「神の国」と、自己愛にもとづく「地上の国」との戦いとして描き、最終的には神の国が勝利するとした。

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スコラ哲学

中世には、ギリシア哲学(特にアリストテレス)を用いて、キリスト教の信仰を合理的に根拠づけようとする研究が、盛んになった。教会や修道院に付属する学校(スコラ)で行われたため、スコラ哲学という。

神学の優位

「哲学は神学の婢」という言葉は、スコラ哲学の立場をよく表している。哲学は、女主人に仕える婢(召使いの女性)のように神学に奉仕するもの」で、神学(信仰)が哲学(理性)より上位であると考えられた。

トマス=アクィナスの登場

トマス=アクィナス(1225年頃〜1274年)は、主著『神学大全』において信仰と理性の調和をはかり、スコラ哲学を大成した。トマス=アクィナスは、「恩寵は自然を破壊することなく、かえって自然を完成する」と説いた。すなわち、神の恩寵にもとづく信仰は、自然の事物を認識する理性と相反せず、たがいに補い合うもので、信仰の優位のもとで両者は調和するとした。

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