【高校倫理】最澄と空海の教えのポイント

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【高校倫理】最澄と天台宗についてまとめています。

最澄

最澄(伝教大師、767年から822年)は、804年に唐に渡り、天台山で天台宗の奥義を学んだ。天台宗は、6世紀の隋代の僧智顎が開いたもので、法華経を釈迦の最高の 教えとして、諸宗の教えを整理統合したものである。法華経では、仏陀は方便として多くの教えを説いたが、真の教えはただ1つのみとする一乗思想(法華一乗)を説いた。最澄は帰国後、比叡山に延暦寺を建立して、日本で天台宗を開いた。

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一切衆生の成仏

最澄は、すべての生きとし生けるものは仏となることができる性質(仏性)を持っているという一切衆生蒸有仏性の思想を主張した。人の素質によって仏になれる人となれない人がいるという、南都六宗の法相宗などに見られる思想を強く批判した。

台密

最澄は、唐で天台宗の教えとともに禅(坐禅の修行)や密教を学び、その修行法を取り入れた。のちに比叡山では、弟子たちによって密教化が 強まり、真言密教(東密)に対して台密(天台宗の密教)と呼ばれるようになった。日本の天台宗は、本来の法華経中心の教学(円教)と、密教・禅・律(戒律)を総合した宗派として発展した。

大乗戒壇の設立

鑑真が日本に伝えた戒律は、インド伝来の部派仏教 (上座部仏教)のものであった。最澄はそれまで在家者向けとされていた大乗菩薩歳に基づいて僧となる制度を主張し、新たな大乗戒壇を比叡山に設ける何を朝廷に願い出た。この願いは、最澄の没後に実現された。

最澄の著作

天台宗の僧侶育成方針と規則をまとめた『山家学生式』や、戒律思想を詳説し大乗戒壇設立の必要を説いた『顕戒論』が有名である。

空海

真言宗と大日如来

空海(弘法大師、774年から835年)は、最澄とともに唐へ渡り、密教を学んだ。帰国後、真言宗を開き、高野山に金剛峯寺を建立した。真言宗は、大日如来(毘盧遮那仏)を本尊としている。大日如来は宇宙の真実の姿を表した仏とされ、すべての生命の根源であり、一切の如来・菩薩・神々なども大日如来の体現であ るとされる。

密教

真言宗は、真言密教(東密)ともいわれる。密教とは秘密の教えを意味する。これに対して、言葉や文字で明らかに説かれた普通の教えを顕数と呼ぶ。大日如来の教えは、言葉や文字で容易に説明したり理解したりはできない、深遠で神秘的な教えであるという。

真言と即身成仏

秘密の教えは言葉では理解できないが、三密の行を修めるこ とによって、人は大日如来と一体になり、生きたその身のまま仏になることが できるという(即身成仏)。

三密の行とは、「手に印契を結び」、「口に真言(マントラ)を唱え」、「心に大 日如来を思いえがくことである。」印契とは仏を象徴する特殊な手や指の組み方である。真言とは、神秘的な力を持つ呪文のような言葉で、密教では大日如来の教えを表す。三密の行により、仏の慈悲の力が人に加わり(加)、人はそれを信心により受け止めて(特)(あわせて加持)、人と仏が一体化する。

加持祈祷

加持祈祷とは、病気平癒や鎮護国家などのため仏の加護を祈ることである。平安仏教においても、人々は現世利益を仏教に求めた。加持によって仏と一体化した人は超越的な能力を持つと信じられ、こうした東密・ 台密の密教僧らが祈祷を行ったため、加持と祈は呪術的な行為として広がった。

最茶羅

最茶羅とは、大日如来とその化身(分身)としての諸仏・菩薩・明王な どを配置し、密教的な宇宙の真理を表した文絵である。仏の慈悲を表す胎蔵界曼荼羅と、智意を表わす金剛界曼荼羅があり、儀式などに用いた。

空海の著作

空海は著書『三教指帰』で、儒教・道教・仏教の教えを比較して仏教が最も優れていると主張した。『十住心論』では、大日如来を中心とする悟りに至る修行者の心の次元を10段階に分けて論じた。また空海は、詩文集『性雲集』などの文芸や、書道においても知られている。社会事業にも尽くし、一般庶民のための教育施設である綜芸種智院を設立した。

神仏習合

仏教と日本古来の神々への信仰を同一視したり、融合させたりする 「理想を神仏習合という。神仏習合は奈良時代から始まり、平安時代は本地垂迹説が生まれた。本地垂迹説とは、本来は仏や音隆であるもの(本物)が、母の人々を救うため仮に日本の神々の姿をとってあらわれる(垂迹)という説である。 このとき、仏・菩薩の化身としてあらわれた空を権現という。

修験道

修験道は、日本古来の山ニ官のかを教・道教などの影響てみて」 たものである。山中での厳しい修行で得た力を使い、災いを除いたり、呪術的儀礼を行った。

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