【大学入試小論文】学校が「人が育つ集団」であるために解答例です。
学校が「人が育つ集団」であるために論文
私は、著者の主張に賛成だ。厳しくて恐いベテランの看護師さんがいなくなることで病棟がもっと平和になり、のびのびしたいい雰囲気になると思っていたが、実はその看護師さんがいることによって、一人ひとりの役割にバランスがとれていた。
また、学校の先生が皆優しければ、将来生徒が先輩や上司に叱られたとき、それを跳ね返す強さは育たなくなり、学校の先生が皆厳しければ、生徒は先生に相談できなくなる。
これらのことから、集団は、不均一であることに意味があり、均一ではないお互いの役割を尊重し信頼することが求められているとわかる。私は著者同様、不均一である役割は、対立的なものではなく、両者がいることによって成り立つと考える。
私は、学校が「人が育つ集団」であるためには、一人ひとりが多様な価値観を受け入れ、自分とは異質であると思えるような人とも共生していかなければならないと考えている。それは、同じような人が集まると、役割のバランスがとりにくくなったり、集団間での衝突などが少なくなり、著者の体験談同様、不毛かつ人を育むことができなくなると思うからだ。
しかし、現代の時代は、少数派の人や異質な人を排除しようとする動きが強いと思う。これは、少数派の人や異質な人が社会の中で孤立してしまうだけでなく、多数派の人も偏った価値観にしかふれられなくなったり、多様性を受け入れられなくなったりという面でも、問題であると思う。
そこで、学校が「人が育つ集団」であるためには、「少数派」や、「異質」といった目をなくし、皆平等という考えをもつことが課題になってくると思う。つまり、差別意識をなくしていくということだ。差別意識をなくすことができれば、「排除」という考えもなくなっていくと思う。
学校が「人が育つ集団」であるために講評
一般論に終始するのはいいのですが、根拠や理由に説得力が欠ける。まだ、うわべだけの論文です。尊重する、多様性を認める、差別をなくすとか、どこでもあるような意見で、それはそれでいいのですが、なぜ大事なのか?皆、そう思っているのになぜそんな社会が実現できないだろう?そういう点を織り込むことが大事です。
①「現代の時代は、少数派の人や異質な人を排除しようとする動きが強いと思う。」とありますが、たとえば?
不均一であること、多様性が大事なのは、昔に比べると緩和されつつあるのでは?インターネットの普及により、小さな声も拾えるようになったのでは?マイノリティの人たちの声が聞こえてきませんか?政策を見ても、同性愛の結婚、バリアフリーの拡充、外国人に配慮した標識・アナウンス、里親制度の普及、女性の社会進出などなど数知れません。
②差別意識は、どうすればなくなるの? 具体性がほしいところ。 差別をなくせばいいなどというのは、当たり前でしょう。なぜ差別がなくならないのか?という点において、意見が聞きたいのです。
学校が「人が育つ集団」であるために視点
①「人が育つ集団」は、全員参加型であることがその前提にあると考える。
たとえば、学校の授業を考えてみる。授業は、先生がするものだと思われがちだが、生徒も一緒になって授業を作るという視点があれば、おのずとその集団である学級は成長していくだろう。それは、生徒が自発的に参加しているからだ。
②「人が育つ集団」は、当事者意識をそれぞれが持つという集団であると言える。
ここで述べる当事者意識は、「どんな時・状況も、自分にできることは必ずある」という意識だ。この意識があれば、自分とは価値観が違う人がいる集団においても、その人や集団に対して、自発的な行動が起こせるだろう。それぞれが当事者意識を持つということは、支え合うことになる。それが認め合うということにもつながっていくと考える。
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